「オッペンハイマー」感想


クリストファー・ノーラン監督。
第96回アカデミー賞監督賞作品賞受賞。
理論物理学ロバート・オッペンハイマーを描いた作品。
伝記映画だと思って彼の誕生から死までを予習していたが、
ロスアラモスと、原子爆弾投下以降がメインで
ポリティカルサスペンス風の場面もあり意外でした。
人物関係の把握がやや困難だった。
ノーラン監督作品のなかでは1番エンタテインメント性が低い(と思う)。

嘔吐あり注意。

 

ラストまでばれ

私が伝記を1冊読んだ彼の印象は、
繊細で、愛情深く、理解が早く、記憶力が抜群に優れている。
才能ある学者を深く愛するが、無能な人間は冷淡に切って捨てる。
調整役に向いているので、核兵器開発の環境を整え、
人員を正しく配置する適性があった。
権力者、父権的なものに弱い面がある。
当時の科学者の多くが持っていた軍への嫌悪感がない。
社会的に見ると少し危なっかしい、だったのですが、
ノーラン監督の造形はかなり違って、
ものすごく繊細な面があるが、尊大な一面もある。
才能ある優れた科学者。しかし人間の感情に疎く、
めちゃくちゃ!めっちゃくちゃに!危なっかしく脇が甘い。
「もっと気にしろ。世間知らずめ」
と温和なローレンスに言わせるくらいに。

モノクロとカラーのシーンに分かれている。
最初は単純に過去と現在かと思ったが、すぐにそうではないと分かり、
太陽と陰のたとえ話があったからそれか?という気もしたが違った。
そういえばオッペンハイマーに果物をひと房渡して、
彼がそれを無心に食べている間にローレンスを視線で制止し、
(ローレンスもその意図を察し)
オッピーが無用に傷つくことから守ってやる場面、
何とも言えない慈愛、友愛シーンで
この映画の中で一番好きな箇所かもなのですが、
あのシーンはモノクロだったので、
もしかするとカラーはオッペンハイマー視点、
モノクロは神視点なのかもしれません。
(聴聞会で突然全裸になってセックスを始める演出はカラー。
意味は分かるんだけど、これ必要!?って言いたかった)

この映画、小さなエピソードはもちろん創作シークエンスが使われているが、
大きな出来事については現実に準じている。
なのでジーンの死のシーンについては
オッペンハイマーの主観にして自殺と他殺、両方の映像が交互に流れた。
(関係ないですがサンスクリット語を読ませながらの性行為は色っぽいなと思いました。
あれ、場面転換しましたけど、朗読を続けられない様子を楽しむんですよね)
(ジーンはノーラン監督の典型的な女性キャラクターなので
ピューさんの演技力がもったいないよぉ…と少し思いました)
(キティと描き分けできてる!?)
オッペンハイマーが自責の念にかられているか、かられていないかは
資料から判定できなので、そこは映画でも明確にされていない気がしました。

ラミ・マレック氏、まさかあの
「署名しないうえにその感じ悪い態度!?」
という顔芸だけの登場か!?と思ったけど、
比較的重要なシーンを見事に決めた。
ストローズにとって人間はすべて損得勘定、
利害によって動くものなので、
ヒル博士の、単に正しいと思うことをしたあの証言は
予測できないし理解できなかっただろう。
そして彼にはオッペンハイマーアインシュタインの会話の内容も同様に
予測できないし理解できなかったのだ。

核分裂が大気に及んで、世界を破壊する可能性はほぼゼロと彼は読んだので、
オッペンハイマーは実験を行い、賭けに勝った。
しかし社会的には大量破壊兵器の開発競争連鎖が世界に及び、
人間と星の寿命を決定的に縮めてしまった。
彼はプロメテウスとなり賭けに負けた。

そして出オチ(名前)のようなJFK

 

被爆描写が無いことに関して

 

バーベンハイマーの件もあり、批判が多かった。
配給会社が決まりませんでした。ビターズ・エンドさんに感謝。
(バービーのページにも書きましたが、
「バーベンハイマー」という言葉自体は、全然違う映画を楽しめる自分!
という一種の自慢、ひいては映画の劇場鑑賞促進のキャッチフレーズだった)

一応科学者の間で、核兵器使用に関する反対署名や討論会があり、
敗戦濃厚な国への大量破壊兵器使用、と状況の正しい認識の言及描写もあった。

投下都市の選定のシーン、
発言後の他メンの表情から皮肉のシーンだと分かるが
(実際はもう少し時間をかけて選定されたようです)
皮肉と茶化しの判別がつかないひとが結構多いように感じられるので少々不安でした。

広島の被害状況のスライド映写、資料朗読をするシーンで
オッペンハイマーが目を背ける描写、
スピーチ前後に顔の皮膚がめくれる女性、炭化した遺体を踏む幻覚を見る場面。
全てにおいて抑え気味のノーラン監督にしては多いと感じた。
このうえ、破壊される広島と長崎を映し、劇的な音楽を流し、
膝をついて慟哭するオッペンハイマーのシークエンスが必要なら、
聴聞会のシーンとはまったく合わないので全部削って別の監督が撮るべきだと思う。

死者への愚弄は当然抗議すべきだが、
分かりやすい虐殺シーンを撮らない、時間を割かない、イコール人種差別である、
とは思わなかった(私は)。